| 昭和 6年(1931)1月2日 | 父・誠也、母・富さの長男として誕生 家は名古屋でも由緒ある「中村写真館」を経営 |
| |   3歳の頃。写真館の跡取り息子だった |
| 昭和18年(1943) 3月 | 
名古屋市立南久屋小学校卒業 |
4月 | 旧制東海中学入学 |
| |  東海中学時代。中心となって弁論部を創設、全国大会で優勝した折りに(S 22年) |
昭和23年(1948) 3月 | 旧制東海中学卒業 (海部俊樹の足跡1) |
| 4月 | 中央大学専門部法科入学、辞達会に入会 |
| 昭和26年(1951) 3月 | 中央大学専門部法科卒業、 |
| 4月 | 衆議院議員・河野金昇の秘書となる (海部俊樹の足跡3)  
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| 昭和27年(1952) 4月 | 早稲田大学法学部に編入、雄弁会に入会 (海部俊樹の足跡2)   
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| 昭和29年(1954) 3月 | 早稲田大学法学部卒業、早稲田大学大学院に進む |
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| 昭和35年 (1960)11月20日 | 衆議院議員に初当選(全国最年少) 以後16回連続当選、現在に至る |
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初当選後、国会議事堂を背景に (海部俊樹の足跡4)

アメリカ政府の招聘で渡米。ロバート・ケネディ司法長官を訪ね、日本刀を贈った。 (海部俊樹の足跡5) |
昭和35年(1964) 5月 | 
日本青年海外協力隊(平和部隊)の構想をまとめ、アフリカ地区調査団長として、アジスアベバ郊外のギオン・セカンダリー・スクールなどを訪問。青年海外協力隊(JOCV)の生みの親となる。 * 誇りと慎重さをもって(2009.11 ローマで取材)  
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| 昭和40年 (1965) 11月 | 自由民主党党青年局長 |
| 昭和41年 (1966) 8月 | 
労働政務次官(佐藤栄作内閣・昭和生まれ第一号) |
| 昭和47年 (1972) 12月 | 衆議院議院運営委員長 |
| 昭和49年 (1974) 12月 |  
内閣官房副長官(三木武夫内閣) 内閣のスポークスマンとして記者会見 |
| |    三木内閣成立時。内閣官房副長官に就任し、三木政治のため全身全霊を打ち込む (海部俊樹の足跡6) |
| |   「スト権スト」の最中、富塚国労書記長と激論。自民党に水玉 ネクタイの凄いヤツがいると評判に。 (水玉ネクタイの秘密) |
| 昭和50年(1975) 5月 |  
来日された英国のエリザベス女王に内閣副官房長官として謁見する。(左) エリザベス女王から贈られた勲章をつけた正装で。(右) |
昭和51年(1976) 9月 12月 | 自由民主党国会対策委員長 文部大臣(福田赳夫内閣)   小学校視察の折りに。法律や制度上の教育改革だけでなく、教育の現場に積極的に足を運び、現場の教育改革にも力を注いだ。 (海部俊樹の足跡7)
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| 昭和53年(1978) |   日独議員会議でドイツのシュミット前首相と再会し、旧交をあたためる。16年前にハンブルクであったシュミットは当時西ドイツ最年少議員。日本の最年少議員だった海部は会見を求め、お互いの大成を誓って別れた。その後、日独友好議員連盟の会長として、日独両国の友好親善につとめる。
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昭和54年(1979) 11月 昭和55年(1980) 8 11月 | 自由民主党広報委員長 自由民主党文教制度調査会長  
NSF(米国科学技術財団)の招待で、極寒の南極を視察に訪れ、南極点に日の丸を掲げる。 |
| 昭和57年(1982) | 
巡視船「だいせつ」で北方領土を視察。自由民主党国民運動本部長として全国を飛びまわる。 |
| 昭和59年(1984) 11月 | 自由民主党筆頭副幹事長 |
昭和60年(1985) 5月 12月 |  
西ドイツのボン・サミット。ライン川で、日独両首脳の囲まれ、ワインの大グラスを手に「ローレライ」を歌う(左)。同サミットで英国のサッチャー首相とにこやかな握手。5年度のヒューストンサミットで、改めて首相同士として再会することになる(右) 文部大臣(中曽根康弘内閣) |
| 平成 元年(1989) 8月8日 |  
総裁選出の両院議員総会が開かれ、地方代表も参加した投票の結果、279票を獲得して当選。第14代自由民主党総裁に選出された。 |
| 8月9日 |  
第76代内閣総理大臣(初の昭和生まれ) |
平成 2年(1990) 2月 平成 3年(1991) 11月 | 
第77代内閣総理大臣、第2次海部内閣発足 総辞職 (海部俊樹の足跡11) (海部内閣813日をご参照ください) |
平成 4年(1992) 平成 5年(1993) 平成 6年(1994) | 

東京フィルハーモニーオーケストラで「アルルの女」を指揮する(左)。 同郷の成田きんさん・蟹江ぎんさんと記念撮影(右)。  
両陛下の欧州善隣外交に随行し、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁で遮断されていたブランデンブルク門を、両陛下とともに徒歩で通過する。 
地元国会議員全員による21世紀万博博覧会誘致推進議員連盟を設立する。これは後に、愛知万博(2005年日本国際博覧会)として結実する。 自由民主党離党(村山社会党内閣に反対のため) |
平成 7年(1995) 1月17日 12月 | 
関西地方を襲った阪神淡路大震災の現場にかけつけ、被災者を見舞い激励する。  
新進党初代党首 |
平成9年(1997) 平成10年(1998) | 
北京で開催された第3回日中環境問題会議に出席。この時の提言が、日中市民のボランティアによる「万里の長城100万本植樹活動」として結実する。 (イオン環境財団による支援事業) 
中国の江沢民国家主席と会談 韓国の金大中大統領の来日歓迎式典に出席 
来日したクリントン大統領の歓迎晩餐会に歴代首相とともにのぞむ。 
生みの親として「青年海外協力隊」の派遣訓練終了式で有志青年たちを激励 |
平成11年(1999) 1月 平成12年(2000) 4月 6月 10月 平成13年(2001) 4月 平成14年(2002) 12月 平成15年(2003) 5月 11月 | 自由党最高顧問 保守党最高顧問 
「はなみずき会」の婦人会員の方々とともに。  「GEA地球環境行動会議」に環境問題の第一人者として出席(左)。 「EUジャパンフェスト」にて、リヨン・ダンス・ヴィエンナーレ実行委員長ご夫妻、永山武臣松竹会長ご夫妻と(右)。   
衆議院議員勤続40年  
保守新党最高顧問  
ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領等有志と共に「世界政治フォーラム」を設立する。 保守新党の自由民主党への合流により、自由民主党に復党
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平成16年(2004) 1月 |  
全国骨髄バンク推進連絡協議会の活動に幸代夫人とともに協力(左)。 翌年に控えた愛知万博のPRに情熱を注ぐ(右)。 |
平成17年(2005) | 
GREEN EARTH21 五木ひろしさんと植樹 |
平成18年(2006) 2月 | 
自由民主党立党50周年企画歴代総理・総裁・官房長官リレー講演会 |
平成19年(2007) | |
平成20年(2008) |  
5月、貧困問題解決議員連盟の会合に国際協力評議会会長・IPS欧州総局長のラメシュ・ジャウラ氏(G8洞爺湖サミット取材のため、日本政府の招聘で来日中)を招いて勉強会を開催。6月、コフィ・アナン前国連事務総長と共に、IPS国際評議員に就任。 |
平成21年(2009) |  
IPS Japan会長/国際協力評議会顧問に就任(左)。 来日したゴルバチョフ元ソ連大統領と再会(右)  
IPS Japan会長として長井顧問、浅霧理事長とともに、ローマで開催されたIPS年次会合に出席しました。  
 
ヒューストン・ロンドンサミット当時のイタリア首相ジュリオ・アンドレオッティ・終身上院議員を訪問(上段左)、ロベルト・サビオIPS創始者をローマに訪問。(下段) |
| 平成22年(2010) 2月 4月 9月 11月 12月 | 
EU・ジャパンフェスト日本委員会総会(トルコ大使公邸)  
イオン環境財団の岡田卓也会長ご夫妻、日中ボランティアと共に、北京郊外の万里の長城付近で植林をしてきました。1998年から継続してきた植林活動はこのとき100万本目を達成しました。(関連記事)  
郭金竜北京市長と(左) 岡田卓也・保子ご夫妻と(左1・2人目) 
来日中のラメシュ・ジャウラ国際協力評議会会長、IPS欧州創設者を迎えて憲政記念館で講演会を主催しました。(IPS Japan・国際協力評議会アジア・太平洋総局共催。尾崎行雄記念財団後援) 
アンワルル・チョウドリ前国連事務次長(IPS Japan/GCC顧問)を迎えて今後の活動について協議しました。 
JICA(国際協力機構)本部にて大島賢三副理事長と対談(公式ブログ)

回想録を出版しました。 ホテルオークラ東京で恒例の活動報告会を開催しました。(撮影・編集IPS Japan) |